G-FLEX Story その6・・・困った展開

そんな所に来て、ある日母親が思いつめた表情で、「やはりお金は出せない」と言いました。僕の資産を買ってくれる話の事でした。

「やはり どうしてもお金は出せない。老後に現金をとっておきたい」

そんなある日母親は言いました。一度僕の資産(家の所有権)を買ってもいいと言った話のことです。何せ父が僕が17歳の時から1級身体障害者なので、頼りなのは 土地とか建物の資産のみです。親子でその所有権について話すのは、あまり楽しくはないです。父は家長として、手足も動かせないし、言葉も話すことが出来ないながら、最終決定権をもっていました。
「今日、病院の帰り電車の中でつくづく思ったのよ。あんたの資産を買ってあげて、郵便定期をあげたらほとんど何も残らないのよ。それじゃ幾らなんでも後が心配だって・・・」

「何でよ、今更!もう物件も探して会社の登記の手続きもしてるんだよ!!」

僕は焦りました。ホームページ上でも「ビッグなお知らせ。5月に横浜駅から1分に英会話コミュニティサロンをオープンします!」と大々的に発表してしまったのです。何通もの「おめでとう」と言うメールを頂きました。(当時僕は自分のホームページを作ってから2年くらい経っていて、そこそこのアクセスがあり、合宿のサイトとして参加者も見てくれていました)。

父親は、お母さんの方を一度見て、首を左右に振りました。(もっと普通にサラリーマンやれと言う事でしょうか。)
僕らの前で見せる、言葉も話せない、手足も動かせない父親の意思表示は絶対でした。意思を伝えてくれただけで、家族は嬉しかったのです。

そんな事がありながらも、こんなに自分が頑張ってやっているのに応援してくれないのか。その時は全く納得できませんでしたが、幾つかの相談の意見があり、特にもう嫁に行った妹との電話で、
「おんちゃん、あんなお金持ってないじじばばからお金取るなんてあんまりよ。普通の親と違うんだから」
と言われた事には反論できませんでした。

僕の家庭は僕が17の時に親父がくも膜下出血で、1級身体障害者になり、以来家計は僕と妹と親父の年金で賄われていました。当時は家のローンなども抱えていて、両親は当然老後の貯金なんかできる訳もありません。

そこへ来て、頼みの綱だった国民生活金融公庫から「融資不可」の通知が来ました。ちょっとした挫折感が僕を襲い、2日間飲んだくれました。

*

Aさん に事の成り行きを話しました。何か良い方法はないかと。残るはHさんの提案してくれた「どこかのお店の空き時間を使わせてもらう」方法でした。これなら初期投資はほとんどいりません。
そんな中で前に秋葉原のE-town(英会話喫茶)で1日コースをやった時に目を付けた喫茶店を思い出しました。そこはなんと390円のランチを出していて、付近を探索していて驚いていってみたのです。
やはり、ちょっと汚く、全然お客さんはいませんでした。
創業を目指す前に、僕はEnglish G Circleと言う英会話クラブの様なものを運営していて、英会話1日コースの昼食と夜の宴会を安く抑えるためにいろいろなお店に行って、オーナーと相談していました。そしてそこのオーナーと話をした事を思い出しました。
そのお店は昼はランチ、夜は8時からカラオケバーとして営業しているそうです。午後3時から8時までは使ってないそうです。その話を思い出して、その空き時間を英会話サロンとして使う事はできないだろうか、と思いました。
「秋葉原だったら、今までの先生もお客さんも呼び戻せる!」 Aさんはハッとした様に言いました。 「でもちょっと汚いから内装は変えないとな」
「入り口がちょっと暗いから、目立つネオンサインなんか付けるといいかも」

その日僕等は一つの解決方法を見つけた気がして、満足して帰途につきました。

その7 別の案へ