その9・・・銀行恐るべし

さて、本題に戻ります 。
物件の審査が済み、いろいろと特別な条件で契約を結べることになり、いよいよ融資の申し込みの段になりました。開業計画書を書き直し、何度もシュミレー ションしてみて、必要書類を全て揃えました。個人で一度断られているので慎重でした。そして、ビジネスローンセンターに電話しました。

「どうも、ご無沙汰しております。有限会社G-Flexの矢田と申しますが、融資の申し込み準備がようやく整いましたのでご連絡させて頂きました。つきましてはお時間を頂き、内容の方を確認していただきたいのですが」(完璧)

「ええと、ああ、G-Flexの矢田さんですか。どうもお世話になっております」(どうやら覚えていてくれたのか?)

融資担当者とは一ヶ月前くらいに1度きりしか会っていません。
僕は続けました。

「あの、実は以前とちょっと状況が変わりまして、あの、物件が別のものになったのです。以前お話していた物件は、オーナーさんとの条件が合いませんで、キャンセルしました。」

「ああ、あの看板とかの件ですか・・・」

融資担当の人は独り言のように言いました。その時僕はちょっと妙な気がしました。
(あれから一度も会ってないよなあ・・・。看板の件って、、、会ったときって、物件変わった後だったっけ?)
そんな疑問が頭をよぎりながら答えました。

「あ、ええそうです。それで、今度は西口に良い物件が見つかって、そこは条件が合いまして、そこでは契約承諾書を出してくれるので、物件が押さえてある証明になります。」

すると銀行の融資担当者は比較的明るめの声で言いました。
「ああ、そうですか。そこに決まったのですね。いいや、その11をいくらクリックしても見れなかったですから、どうなったのかと・・・」

「・・・???」(その11?。。クリック?。。。)

一瞬僕には状況が飲み込めませんでした。すると融資担当の人は続けて言いました。

「読んでますよ、「英会話コミュニティサロンができるまで」でしたっけ?」

「ええっ!?!」(どっひょーん!)

僕は文字通り大声で「ええっ!」と言ってしまいました。「そ、それって・・・」

「いや、以前お話を伺って、こう言う人ならホームページを持っているだろうと思って、探したんですよ。」

「(ま、まさか・・・)、ぜ、全部読まれたのですか?」

「はい、随分前から」

(愕然)

まさかそこまで調べるとは。銀行恐るべし。
その時の僕の気持ちは大変に複雑なものでした。この赤裸々な内容の日記を全て銀行の融資担当者に読まれてしまった事への後悔にも似た気持ち、それと同時に、

「いやあ、あれ読まれちゃったんですかぁ。・・・ありがとうございます。半分困っちゃったですが、でもなんか半分は嬉しいです。」

と思わず言ってしまい、本当に複雑な気分でした。融資担当の人は少し笑いながら、
「あんなに手の内明かしちゃっていいのかな、と思いましたが・・・」と言いました。

「いや、あの、あれは読んでいる人が面白いようにと、ちょっと作りが入っていたりして、あの、現実とはちょっと違うものでぇ・・・」
どうあがいても言い訳にしか聞こえません。

アポを取り付けて電話を切った後、しばし絶望感が僕を覆いました。
(今までやってきた事が水の泡だ。何でこんな日記 – (当時は僕にブログって概念は無かった) – を書いてしまったのだろう。。。トホホな感じ。。。)
と思いながら今もまだ書いています。

融資担当 の人は電話では多少笑いも入っていたかと思ったのですが、現実に会ってみると大変厳しく、ほとんど冗談は通用しそうにありませんでした。かなり詳細に渡っ て突っ込みが入り、さらに提出用の書類に関してとても丁寧に説明をして頂きました。
最後まで笑いは無しでしたが、帰りに僕を送りに銀行のドアを出た瞬間だけ、

「あの代表取締役がただの取締役になったところ、面白かったですね。思わず笑っちゃいましたよ」

と笑顔を見せました。

*

またしてもバイトに向かう道を歩きながら、通りをトラックや車がびゅうびゅう通り過ぎてゆきます。この道を車で行く人たちは、ここのビルの一階付近に猫が住んでいる事、道路脇の小さな空き地に、見事な枝垂れ桜がある事を知らないでしょう。歩くことで今まで気にも留めていなかったいろいろな物が見えました。

僕はポスティングのアルバイトを定期的に続けていて、そのお店までも横浜から30分ほど歩いていました。店は駅から少し離れているので、電車を使っても時間はほぼ同じでした。
そんな中で、携帯の電話の声は聞き取りにくかったです。

「理由はどういう事なのでしょう?やはり自己資金が少ないという事ですか?」

融資を正式に申し込んでわずか2日後のことでした。
誠に申し訳ありませんが、今回のお話は当行としてはお受けできかねます、との電話が融資担当者から入ったのです。それに対して、何がいけなかったのか、理由が知りたくてそう僕は尋ねました。

「いや、そう言ったことではなく、どうも御社の英会話教室が私どもの英会話教室の認識と違うことが一番の要因でして、実績を見させて頂いてからのお付き合いとさせて頂きたいのです。」

つまるところ、今までの同様な事例的なものがないので判断できない、と言うことでしょうか。しかも新規創業の会社であると、ベンチャーキャピタリストではないので過去の事例などが物を言うのかも知れません。
しかし、(本当にそうなのかぁ?)心の中で猜疑心が湧きました。実はホームページで読んだ内容なども上司に話して、「そりゃちょっと危ないな。やめとけ」なんて事だったんじゃないかと。

「と言うかちゃんと検討して頂いたんですか?こんなにすぐ結論が出るって・・・」

「いや、昨日も遅くまでこの件で会議をしたんです。」

とにかく出てしまった結果は仕方が無いわけです。しかし、これまでどれほどの時間と労力をかけてきたか。どれほどの人たちに協力してもらったり、心配してもらったりしてきたか。
それらを考えると、僕はこの時、大変ガッカリしなくてはなりません。 しかし、僕は保険の手を打っておきました。本来同時に申し込むことはあまり良くないらしいことは知っていましたが、ほぼ同時に「国民金融公庫」にも申し込 みしておいたのでした。融資金額はずっと少なく、本命ではなかったのですが、何とかやって行ける金額の融資を受けられます。

前回、4月に個人で申し込んでダメでした。その時は貯蓄残高も無く、開業計画もずさんなもので、今となればダメで当然の内容でした。
しかし、今回は法人としての申し込みで、銀行の口座には資金があり、開業計画も以前とは全く比べ物にならないほどの綿密なものになっています。見積書などもばっちりで、これらは県の信用保証協会の融資の為に揃えた資料で、ある意味とても勉強になりました。
その国民金融公庫にも申し込んでいたので、銀行の県の信用保証協会付きの融資でダメでしたが、それほどガッカリせずに済んだのです。

*

その日、怒りが収まらない僕はとっても微々たる報復として、横浜銀行に作った会社名義の口座に入れてある235万円(本来265万だが、30万はキャッシングの返済やらに使ってしまった)を全部引き出しました。そんな預金が減っても横浜銀行は痛くも痒くもないでしょうが、それしか出来ません。

(くそぉ、たとえ将来俺がビッグになっても、横浜銀行とは絶対取引しないぞ。)

なんて思いました。

そしてそのまま235万円を持って三井住友銀行に行きました。これは他の銀行でも再び融資申込みをしようと思っていたからです。
235万円程度のお金でも、現生を持って歩くと緊張します。僕はまるで銀行のお金を運ぶALSOKの警備員の様な警戒心を振りまいていたに違いありません。
ここまで来る間、以前通っていた創業塾で一緒だった行政書士の先生に相談したりしていました。その先生の事務所では、融資の申請などもやっているとの事で、最後の手段としてプロに頼むと言うことも考えていたのです。ですから、三井住友銀行に変えて、開業計画や申請書など全てプロ任せで(お金はかかるが、この際仕方ない)行くという考えがあったのです。
三井住友銀行はサラリーマン時代給料の振込み口座があったり、住宅ローンを組んで返済実績があったりしたので選びました。

まずは窓口に行き、会社の口座を作ってかばんの中の235万円を全部預けようと思いました。書類を書いて、登記事項証明など必要書類と現金235万円入った紙袋(横浜銀行のネーム入り)をドンって感じでカウンターに置きました。

(とりあえず、これだけ入れといて)

目で言いました。

「はい、書類の方ありがとうございます」そう言って、窓口嬢はちょっと怪訝そうな顔でお金の入った袋を見ました。
そして、
「それでは、一週間くらいでお口座が出来ますので、身分を証明するものと、銀行印をお持ちください」
と言いました。

「あれ?あの、これ、お金は・・・?」

僕が指差す横浜銀行の包みを見ながら、窓口嬢は、
「あ、こちら現金ですか?本日はまだお預かりする事は出来かねます」
と言いました。

「あ、そうですか。なるほどね」

尚も威厳を失うまいと振舞いつつ、僕はそそくさと235万円をかばんに戻しました。
三井住友銀行を出た後、235万円を自分で持っているのも不安なので、結局もとの横浜銀行に戻って、全額さっき引き出した会社の口座に戻しました。
こうして、僕の微々たる報復攻撃は、誰にも気づかれることも無く終了しました。

それから程なくして、国民金融公庫からも「このままでは少し難しい」との相談の連絡が入ったのです。

その10へ
Back To Top