6.コロナ禍

そんな中、突如コロナが全世界を巻き込んで流行します。

スクールの生徒さんたちは、次々に辞めて行きました。当時スクールを4校持っていたのですが、やむを得ず2校を閉鎖しました。もちろん、主要である2校も70パーセントほど生徒が減ってスクール自体は壊滅状態になったのです。

ただ、私はその時これを勝機と考えました。何故ならスクールはダメになった分の時間が出来て、RVSの開発に力を注げる事になったからです。そして更に大きなチャンスが転がり込んで来ます。国の補助金である「事業再構築補助金」にRVSの開発が採択され、1000万ほどの開発補助金が支給される事になったのです。今まで工面のつかなかった開発費の多くを国の補助金で賄える事ができるのです。

ここから一人きりの戦いが始まりました。私の会社はただの英会話スクール。私一人が黙々とPCに向かっていました。このコロナ禍で恐らく私だけでなく、多くの人々が孤独感を味わった事と思います。

突然襲って来たコロナ。こんなに短期間で世の中は大きく変わりました。

横浜駅周辺。あれだけ騒がしかった街にはほとんど人がいませんでした。少し駅から離れた所では全く人がいない、恐らく人がいないビル群。まるで時間が止まってしまった様な虚無感。自分一人がこの世にいるかの様な無意味な時間と空間。レッスンの予約はほぼ無くなり、その中で一人毎日事務所に向かい、またはスクールに泊まり込んで黙々とプレゼン資料作りやビデオ編集などをしていました。

自分だけしかいない様なこの世界。何に咎められる事も無い中での弱い意志もまた存在しました。仕事中当然酒にも手が出ました。昼も夜もない止まった時間。毎日4から5リットルのビールは何か気を紛らせたかったのでしょうか。取りあえず飲みながら考えよう。そんな日々が一年以上続きました。そしてアル中寸前にまで落ちて行きました。

その時に開発を任せていた会社はP社でした。その前のB社とは、意思の疎通が合わない為打ち切り、全く一からの開発でしたが、P社は大変安く分かり易い見積を提示して来たのです。「技術・開発」に対する金額はとてもあやふやで、ボッタくられても分かりません。ただ言えるのは、小さな会社は安い事が多いということです。信用の問題もあると思いますが、一技術者のレベルが高ければ、会社の規模は問題ないと思っていました。

P社はほぼ社長一人が技術者でやっている会社ですが、実績を見るとそれなりで、自分で独立しようと考えた時点で優秀な技術者だろうと思いました。そしてコストが安い。その人と何度か会って任せてみようと決めました。

多くのミーティングを経て、システム構築を進めて行きました。その頃「音声認識エンジン」を選定していたので、各会社に同行してもらったりしていました。

ちなみに当時日本人の英語スピーキング音声認識エンジンを開発していたのは私の知る限り、東大研究チーム、豊橋工科大学、アドバンストメディア、NTT テクノクロスなどが主だったと思います。あとは日本人英語と関係ない海外の企業でGoogle、Microsoft、Amazon、IBMなどです。大学の教授ともお話したことがありましたが、研究所と企業とのタイアップの場合企業側が資金を出す為、私にとっては膨大なお金を払わなければならない様でした。

実際に試してみたり、現場で見せてもらったりした結果、MicrosoftのAzureと言うAIエンジンに決めました。

⇒7へ

Back To Top